〜ひざづめ〜


夫と子どもたちをそれぞれ送り出した後に母親は出勤する。出掛けに入ったトイレで母親はタバコを見つけた。トイレットペーパーなどが収納してある棚に巧妙に隠してあったのだ。この家にはタバコを吸う人間はいない。

「ちょっと話があるからいらっしゃい」と、会社から帰るなり母親は娘のA子を座敷に呼んだ。そして朝見つけたタバコを娘の前に置き、少しきつい調子で「これが出てきたんだけど」と娘に迫った。娘はチラリと動揺したが、すぐにいつもの表情に戻って「持ってただけ」と答えた。「信用してもいいのね?」「いいよ」。母親はそれ以上は追求しなかった。わが子ながら、明るく健やかな娘である。頭も決して悪くない。一時的な好奇心にしろ、友だちに影響されたことにしろ、タバコの件についてはこれ以上深入りする子ではないだろうと確信できたのだ。

「あのさぁ、ママとこうやって二人だけで話すのって、久しぶりっていうか、初めてじゃない?」そう言われれば、そうかもしれない。食卓や茶の間での会話は途絶えたことがないが、こうして娘とひざ詰めで話した覚えはなかった。

「あのさぁ、ママってB男ばっかり可愛がるよね?」。一応笑顔で話しているが、娘の眼は真剣だった。「そんなことないよ」と母親はさらっと答えたのだが、「だって、B男は病気持ってるじゃん」と娘は視線を落とし、そのまま口をつぐんでしまった。

A子とB男は年子の姉弟である。第二子誕生時にありがちな「お姉ちゃんの孤独」を味合わせないよう注意して子育てしていたが、A子が三歳の時に弟のB男が難病であることが分かったのだ。それは発作が起これば一瞬で死ぬ恐れがある重篤な病気だった。しかしそんな状態であっても、お姉ちゃんに淋しい思いをさせないよう意識的に気を配ってきたつもりだった。

「私ね、分かっているんだけど少し淋しかったんだよ…」。ポツンと落ちたA子の涙に母親は胸を衝かれた。姉娘に気を配りつつも、母親は命の保障はできないと宣告された弟息子を血走った目で見つめてきた。子どもの目の鋭さは、親の取り繕いなどお見通しだったのだ。「ごめんね」と母親は娘の手を握った。
  (J)

2007.11.19発行 KID'S倶楽部 Vol.162