〜留学を決めたもの〜


3年の夏休み直前、母親が新聞で子どもだけの海外ツアーがあることを知った。「行ってみる?」という言葉にA子は飛び上がらんばかりに喜んで「うん!」とこたえた。行き先はオーストラリア。真っ青な空の美しさ、人懐っこいオーストラリア人の優しさ。わずか数日過ごしただけなのに、A子はそれに比べて日本は…と、ごちゃごちゃした日本がいっぺんに嫌になってしまった。

A子の家は両親とA子、妹、それにおばあちゃんの5人暮らしだった。料理上手な母は美味しいご飯を食卓に並べてA子たちを喜ばせていたのだが、おばあちゃんはそれが気に入らないらしく「贅沢すぎる」と文句ばかり。それは贅沢ではなく、母親の創意工夫の結果だということなど中学生のA子にもわかるのだが、おばあちゃんは母親を台所から追い出していた。それで自分が腕をふるうのなら話も分かるが、おばあちゃんが食卓に並べるものはパック詰めのお惣菜なのだった。こっちの方がお金がかかるのに…。

おばあちゃんの嫁いびりは料理だけにとどまらない。何が気に入らないのか、朝から晩まで母親に文句を言い続けていたのだ。しかし母親は文句も愚痴もこぼさずにおばあちゃんの言いなりになっていた。A子と妹も従わざるを得なかった。A子はおばあちゃんにはもちろん腹を立てていたが、それにも増して許せないのは父親だった。何でお母さんをかばわない? どうしていつも見ぬふりなの?

A子は我慢する母親の姿からも人との係わり合いも含めてすべてから解放されたかったのだ。 

オーストラリアツアーから帰国して早々、A子は「日本にいたくないから、むこうの高校へ行きたい…」と母親に申し出た。家は平凡なサラリーマン家庭。留学にはお金がかかるだろうが、A子は母親の承諾には自信があった。小さな頃から〝自分の責任において〟という条件付ながら、自由にさせてもらっていたからだ。父親はどんな時でも母に「君に任せる」しか言わない人だし。案の定、母親は「行きたければ行ってもいいわ。でも手続きや段取りは自分でやるのよ」と許してくれた。

まずは留学専門の本を購入し、ワーキングホリディや留学を支援している会社に資料を請求。東京でテストを受け、A子は中学を卒業してから約10日後に、日本を旅立った。「行きたい」一心が、A子をここまで頑張らせた。心には何の不安もなかった。  (J)

2007.10.16発行 KID'S倶楽部 Vol.161