作文から見えるもの 


 入試対策専門で家庭教師をしているL先生は、今度は作文の指導を頼まれた。相手は中学三年女子のA子。彼女は勉強よりも芸事が好きだから、バレエや声楽に専念できる学校に入りたい。高校というより専門学校に近いのだが、人気が高いので誰でも受かるわけではない。入試は作文と面接。そればかりではない。舞台のオーディションも最近では、エントリーシートに自己PRや志願理由を書き連ねばならないのだ。
 普通の入試と同じく、まずは過去門から。L先生は過去三年間の課題で次々と作文を書かせた。残念ながら、三作ともまるで小学生の作文だった。幼稚さの第一の原因は文章だ。主語と術語がまるでかみあってない。例えば「なぜなら」で始まる文章であれば、「~だからだ」のよに受けなければならないのだが、そういうことは一切出来てない。また、中三なら文章のリズムがもう少しは整えられるはずなのだが、それも全く出来てない。「~と思う」を五つも六つも続けるのに何の不思議も感じないのもおかしい。きちんとした文章に接していれば無意識にできてしまうことばかりなのに。
 幼稚さの第二の原因は、論理立てて考えたり説明したりする力がないこと。これも数学を普通に学んでいれば身につくことなのだが、A子は「数学なんて一回も聞いたことがないよ」とうそぶく。全部の科目を勉強するのは意味があるのよ、と今さら言っても間に合うかどうか・・・。
 そして幼稚さの第三の原因は心の中のことしか記述していないこと。社会とか歴史とか自分の世界の外のことを書けたら文章に奥行きが出るのだが、A子は触れているものが少ないうえに興味というか視線も持っていない。これはあきらかに「茶の間の力」不足だ。食事中はテレビを見せないそうだが、じゃあ豊かな会話が提供できていのか。NHKのニュースはビデオにとって見せてますということだが、ニュースを見せていれば社会を取り組むことができるというのか。それよりも、ニュースにむかって文句をいう父親の言葉や、ニュースに絡めた仕事のあれこれを話す両親の会話の方がむしろ大切なのではないか。L先生は頭を抱えた。
                                                                               

KID'S 倶楽部 H19 Vol.153