男だから、女だから


長い日本の歴史の中、私たちは「男の子は泣くもんじゃない」、「女の子だからお行儀良くしなさい」などという言葉で、「男」と「女」のあるべき姿を刷り込まれてきました。

しかし身体の作りの性差は大切にされねばなりませんが、生活面や精神面での差は、つけないほうが良い事が分かってきました。
泣くと多くのママは「男の子のくせに」というのですが、そんな場面で今の保育者は「男だって泣きたい時には泣きたいよ」と言い添えます。男の子だって泣きたい時には泣いたほうがよいのです。

転んだりして痛い時は、たいがいの子が泣きます。
そんな時には「痛かったねー」と言いますし、ケンカして負け、悔し泣きをしている時は「悔しかったねー」と言います。こうして痛さや悔しさを認めてあげると、泣き止むのも早いのです。

認めてもらい、泣く事を許された子どもは、段々自分の感情をストレートに表現できるようになります。そして「自分はここに居て良い」という安心感や自己肯定感を得るようになり、大きくなった時に自分の存在に価値を認められるようになるのです。

泣きたい時にワーッと泣けず、嫌な時に「いや」と言えないというように、小さな頃から我慢を強いられ諦めの連続で成長すると、「どうせ僕なんか…」という思いを抱く子に育ちやすいものです。

何もかも男女平等というのは身体能力的に言ってもいかがなものかと思いますが、男として生まれた役割や女として生まれた役割を大切にしつつ、要は、人間として一人一人を尊重していくことが重要なのです。男女平等というより、子どもだからというより、人権を持った存在として子どもと接していきたいのです。

子どもは自分の、モノではなく、人権を持った一人の人間である事を自覚して下さい。

KID'S倶楽部 Vol.176:幼年図鑑