平針小字地名考


地名は歴史の化石とか。
地名には様々な歴史と、その土地の紆余曲折が畳み込まれています。

地名の由来を調べ、昔の有り様に思いを馳せるのですが、それも今は昔。 町名変更を経て今では○丁目という呼び方に変わってしまいました。 簡単便利の前に情緒やロマンは駆逐されてしまったのです。

 

区画整理の前までは32の小字があったということなのですが、町名変更直前には、 荒池下・奴女里川・流・大堤下・背戸屋畑・前畑・藤薮・黒石・長田・下山・大橋・蓮池・城下・ 向ノ山・大根ケ越・向田・細口下・屋下・清水屋敷・欠下・黒砂雲・高瀬木・立中と減っていました。

残った小字のうち、いくつかの地名の由来を拾ってみました。

 

 

清水屋敷


旧街道から南のあたり一帯、今の平針4丁目から5丁目にかけてが清水屋 敷といわれていました。

その昔、平針が重要な宿場町だった頃、 宿場にとって最も大切な清水がいたる所にこんこんと湧いていたことから、 この名前があるそうです。

徳川家康がこの地を「駅」に設定したのは、もちろん位置的なこともあったのでしょうが、 この水に着目したからに相違ありません。

 

現在は小さな小路をはさんで、びっしりと民家が立ち並んでいます。
その中の一軒、清水屋敷の真中あたりにある佐久間さん宅。

今でも何となく地面が湿っぽく、少し掘ると水がブクブク出てくるそうです。 大正の初め頃田圃を埋め立てて、宅地造成したのだそうです。

なるほど、見ると庭のあちこちに小さな流れがチョロチョロと幾筋もありました。

昔々、塩を背負ったお馬さんが、この水で喉をうるおしたのではないでしょうか。

 

蓮池


平針保育園の辺りは蓮池という小字が付いていました。

昔々、それ程ではない昔、この辺りに蓮池と呼ばれる池がたくさんあったとか。それで蓮池。 地名の由来の分類では「第1種」に入る類なのでしょうね。
一際目立つ一本の松があるから「一本松」的ネーミングです。

 

場所は秀伝寺の南西付近。ということで、近くのお年寄りにおたずねしました。

「マルフク荘というアパートがあった辺りを蓮池と呼ぶ人もあるけど、そこでは蓮根を作っていただけで、 本当の蓮池は今の秀伝寺の御堂の辺りだった。 その頃、お寺はもう少し東寄りにあったけど戦争で焼けたんだわ。 道も出来てせば(狭く)なるからということで、今の御堂をでかしたんですわ」
ということらしいです。

 

ほとりに大きな松の木があり、下笹が生い茂る池であったとか。
蓮の花がポッと咲く、静かな池であったとか。