魔法のお水


魔法のお水

ミネさんは82才になり、一人暮らしも十五年目に突入した。
わりと近所に住む87歳になる姉も健在で、タクシーを使って会いに行ったり、長電話をしたりと仲良くしている。

ミネさんは大昔は今でいう看護師をしていて、年寄りの入院患者を看護しては「そうまでして、まだ生きたいのか?」と思っていたが、その年寄り達の気持ちが今ではとてもよくわかる。今、自分が入院したら、やはり「もう少し生かしておいて」と願うだろう。別に何がしたいわけでもないが、もう少し。

仲の良い姉とは、昔から「90まで生きたら生きすぎだな」等と笑って話していた。姉は常々「自分は意外と病弱だから長生きはできない」と言っていた。そんな姉が「ミネちゃん、90まであと3年しかなくなってまったぞ。どうしたもんだろうかえ?」と言いだしたから、ミネさんの方が笑い死にそうになってしまった。

姉と会えば、やはり昔話が多くなってしまう。戦時中の話や、戦後の話。確かに無茶苦茶な時代を経験してきたのであるが、何かをやれば必ずと言っていいほどお金がついてきた高度成長期を振り返ると「つらかったけど、楽しかった」と締めくくられる。そして「あの頃は、やろうと思えば何でもできた。何でもやらせてもらえた。
それを思うと、今の孫達の世代が不憫でしょうがない」と言う話になってくる。孫のいない姉は「そんなもんかえ?」と言うが、ミネさんはいつもそう考えていた。

ミネさんには6人の孫がいる。盆や正月に孫と顔を合わせた時には、必ず「景気はどうだ」と孫に聞く。孫が何かやりたいと思っているなら、是非とも協力してやりたいと思っているからなのだが、孫達は「ダメだね」「アカンね」と言った後「今は何やってもダメみたいだよ」と予想通りの答えが返って来る。
そのたびに「ばぁちゃんが宝くじ当ててやるで、もうちょっと待っとけや」と言っている。最近は「事業仕分け」やら言うものが宝くじの存続を危ういものにしているそうで、ミネさんには余計な悩みが増えている。

孫のいない席では「6人も立派な孫がおるんやで、一人が大成功してくれれば皆が幸せになれるんだがなぁ」などと笑いながら娘達と話をしている。

一人の時は「結局、何もしてやれんかなぁ」とため息混じりにテレビをつける。大音量のテレビの前で隠してあった魔法のお水を舐めるように飲み、日本の先行きを案じながらうたた寝をするのが趣味なのだ。

ところが先日、うたた寝しているスキに来訪した娘に「何でこんな所にお酒を隠してあるのっ!」と、魔法のお水を没収されてしまった。
「誰か来て置いて行ったんかえ?」ととぼけながら、テーブルの上にある飲み残したコップを隠すのに必死になった。

2010.06.25 発行 み・まも~る7月号 Vol.38