異文化コミュニケーション


A男の通う中学はマンモス校で、三つの小学校区からなっていた。
広い校区には川沿いの低地から丘陵地までがあり、各々が文字通りの下町と山の手を形成していた。
市内でも有数の文教地区に隣接する山の手の学区の生徒らは、ほとんどが私立の中学受験を経ており、高校受験でリベンジを目論んでいた。彼等彼女等は「お受験」の頃と同様の意気込みなので、一年生から受験塾に通っていた。

一方、下町学区から来た生徒たちは小学生が学生服に着替えただけ。親子共々受験などはるか先のことと思い、緊張感はゼロ。特に男子は野球部やサッカー部がないせいもあり、やることがないので毎日ダラダラと過ごしていた。

住んでいる土地の高低差はそのまま成績の高低差となり、いつしか生徒は「上組」と「下組」にキッパリ分かれるようになった。A男は下組。上下を意識しだすと、先生の態度が両者では丸っきり違うことが見て取れた。上組には名のある家の子どもが少なくないので、先生もそれを意識するのか少し気取って話す。もちろん君づけ。下組には「お前ら」であり、鉄拳も容赦ない。もっとも、上組は悪いことなどしないから鉄拳の必要などないのだが。

A男は下組ながら物怖じしない性格だったので、上組(といっても下の方)とも少し交流があった。
家に遊びに行き、最初に驚いたのは「母ちゃんがヒマそう」だったこと。A男の近所では、商店だったり共稼ぎだったり町工場だったりするから、どの母ちゃんも大忙しだ。そんな家では「カップラーメンでも食べる?」がもてなしなのだが、上組の家では「お肉焼いてあげようか?」といきなりステーキ。おまけに冷蔵庫にはパンパンに食品が詰まっていた。

ある上組の子は「社宅」というから普通のアパートだと思ったのだが、丘の上のそのマンションは室内に階段があった。
A男はそれが「メゾネット」というものだと教えられた。ゴミ箱もペダルで開閉するタイプで、生ゴミの臭気など皆無。住んでるところが高いと文化も高いんだ、と興奮した。

やがて卒業。上下ともそれぞれの進路をいった。
そして二十歳の同窓会。下組は親父の後を継いだり板金の腕を磨いたりと結構堅実な姿で現れた。しかし上組の中には大学受験に失敗したまま引き篭もったり、有名校にはいれなかったことを恥として来なかった奴がいたり…。
「温室育ちは弱いのかも」と思うA男だった。

(J)

KID'S倶楽部 H.18.4号