力関係の抑圧


子どもが健やかに育っていくためには、傍らに何でも聞いてくれる、やってくれると、安心できる大人がいることが一番大切です。
不安なときに「どうしたの?何でもいってごらん」という言葉に気持ちも乗せて顔を見つめてくれる存在は、大人でも嬉しいものです。

ですから保育者は、子どもが荒れて問題行動が目立ってきたときには赤ちゃんの頃からの「生活の作り方」を見つめ直します。大人の都合で子どもを動かしていないか、その場その場で違うことをいってないか、急き立てていないか、などなどです。言い換えれば、子どものペースを見て取って子どもに合わせて物事をすすめていけば、問題行動は避けられるのです。

しかし親だとそれがやり切れない現実があり、ついつい親からのトップダウンで子どもを動かしがちです。でも、例えばお手伝いができる年齢になったとき、「やらされて」ばかりでは大人でも嫌気がさすものですから、ここはひとつ「頼むよ」とか「お願いね」ときちんと頼み事としてお手伝いをしてもらう姿勢も大切です。

いつも力関係で抑圧されていると、自分が「上」だと感じたときに今度は人を抑圧する立場になってしまいます。幼児虐待の親の多くが自分も虐待を受けて育ったというのも、こうした「負の連鎖」の結果です。力による抑圧の極端な例がこの虐待です。虐待を受けて育った子どもは成長が遅れたりゆがんだりする場合が多いので、親にはどこかでツケが回ってくることを心しなくてはなりません。小さなうちは子供心に親の期待に添おうと思っていますから、親の前では良い子を演じますが、抑圧は必ずどこかで爆発するものです。

園では親と子の両方を受け止めるとことから始まります。豊かに可愛がられて育った人と厳しい状態で育てられた人とでは、眼差しも仕草もすべて違います。ですからまず、母親の満たされなかった「子どもの部分」を受け止めて、安心させてから保育に当たります。

「子どもの部分が満たされていない」人は、誰かがどこかで受け止めてあげないといわゆるアダルトチルドレンとなって負の連鎖の再生産をおこなってしまいます。
出会った異性が丸ごと受け止めてくれる人だといいのですが、抑圧されて育った人は表現が稚拙で相手に伝わりにくい表現をするので、なかなか困難なものです。

KID'S倶楽部 Vol.178:幼年図鑑