それぞれの老い③


『誤算』
 昭和34年。玲子は皇太子殿下と美智子様の御成婚と同じ年に結婚した。結婚はまだまだ家同士の釣り合いで決められていた時代だった。
 玲子の嫁ぎ先は大きな商家で、一区画を占める屋敷内にはたくさんの蔵や使用人が住まう長屋まであった。そこを取り仕切っているのは姑のアヤ。使用人たちは玲子を「若奥様」、アヤを「親奥様」と呼んで仕えてくれた。玲子の実家も旧家に変わりはないが、実家の母は万事現代風に暮らしていたので、玲子は嫁ぎ先の旧態然とした暮らしに少々戸惑いを覚えていた。
 アヤは玲子を「嫁」ではなく使用人の一人として遇した。下働きを含む仕事の全般を覚えなければ使用人に指図ができない、というのがアヤの持論で、「私も先代様からそのように仕込んで頂きました」と言うのだった。母屋の真ん中にある広大な台所は土間で、水道もガスもない。水汲み、薪割りで玲子の手はみるみる荒れていった。
少々のケガや病気では医者にはやってもらえない。火傷が化膿した時などは、見るに見かねた使用人が親奥様に泣いてお願いしてくれる有様だった。そんな辛い毎日を支えたのは「年寄りから死んでいく」という言葉だった。私の代になったら自由にやればいいのだと、玲子は自分に言い聞かせて毎日を耐え忍んだ。
その地域の風土なのか婚家の家風なのか、舅がそうだったように、玲子の夫も夕方になると色街へいそいそ出かけていく毎日だった。それが祟ってか夫は五十歳を前に他界。辛さを愚痴ることも甘えることも知らない夫婦生活だった。息子は斜陽の家業に見切りをつけて東京の大会社に勤めていたから、家業はたたんだ。
年老いた番頭とばあやさんだけが残って残務整理や家内の事を手伝ってくれているが、親奥様に仕えるのは玲子の仕事。お金はたっぷりあるが、一泊旅行すらままならない。死ぬのを待つなんて不謹慎なことと分かってはいても、玲子はあと少し、あと少しと自分を励ましながら毎日を過ごした。
先年、姑のアヤは百三歳の天寿を全うした。玲子は七十五歳になっていた。老老介護の疲れは体中を蝕んでおり、浮腫んだ足は靴も履けないほどになっていた。「今更無罪放免になっても、何が出来ると言うのかしらねぇ…」。がらんとした屋敷の中で玲子は淋しく笑うのだった。

2008.6.25発行 み・まも〜る7月号 Vol.14