それぞれの老い6:理想の老後


久子さんは一家で桃農家をやりながら、子ども達を従順に育て上げる事に成功した最強の八十二才だ。

同居の息子は休日だけでなく、毎朝夜明け前から出勤するまで桃畑を手伝う。隣の県に嫁いだ娘も、毎日高速道路を使って駆けつける。息子が出勤する頃に娘が到着して交代するのだ。
息子・娘は誰にも強制させるわけでもなく、とにかく親を大事にしているのだが、息子の嫁の目にはいき過ぎの様に見える。

手伝いにきた娘は、夕刻になると自分の家族が待つ家へ帰る。 嫁は帰ってから家族の食事の支度をさせるのはあまりにも申し訳なく思い、娘の家族4人分の食事を用意して持たせている。

そんな娘のガソリン代も高速道路代も久子さんは出そうとしない。息子が「安くてもいいから時給換算して(お給料を)渡さないか」と久子さんに提案したら、「子供が親の手伝いして、何で金を払うんだ」と突っぱねられた。
久子さんは、孫の進路も左右する。かわいい孫娘がA大学に行きたいと聞くと、「そんな聞こえの悪い学校は、絶対にいけません!」と父親である息子を叱りつけ、従順な息子は孫娘の進路を否応なしに変更させた。

母親である嫁の猛抗議も娘の意思も久子さんには敵わない。親孝行を通り越して、息子は完全に久子さんの言うなりなのだ。

変えられた進路に進んだ後も孫娘は抗議を続けた。父親から見ればほとんど下着の様な格好で毎朝家を出る。ほとんど下着の様な姿で「今夜は遅くなるから」なんて言ってみる。家が見えなくなって大通りに出る頃には、カーデガンをサッと羽織っている事を知っている嫁は、あわあわとなっている父を見てニヤリと笑う。
しかしこの抗議、父親には通じても、久子さんには全く届いていないのだった。

やがて孫娘が嫁に行く事を知り、久子さんは大喜びした。孫娘が新居の家具をそろえる話を聞くと、「百万くらいは出してやる」とポロリ。大喜びした孫娘は予算を超えないように慎重に家具選び。購入してから、「色々といい家具が揃った」とはしゃいで久子さんに報告すると、「それは良かった」とニコニコの久子さん。…百万の話など覚えているのかいないのか。ニコニコして、おしまいなのである。

孫娘は大きく計画が狂ってしまった。そのやりとりの一部始終を知っている嫁は、夫に「何とかならないか」と相談した所、夫は嫁と孫娘を並べて正座させ、「年寄りから金をムシるような事を考えるんじゃない!」と延々と説教を続けた。嫁は正にあんぐりと口が開いてしまった。

孫娘は公務員と結婚するが、旦那の実家が桃農家だった事が発覚し、頭を悩ませていた。その隣では、理想の老後生活を見事に実現させた久子さんが、饅頭を口いっぱいに頬張っている。

2009.7.25発行 み・まも~る8月号 Vol.27