編集後記


世襲制の素晴らしさを思い知ったのは、市川新之助(現海老蔵)を見たときである。一見すると今時のチンピラお兄ちゃんだったのだが、舞扇を持った途端「ひのふのみぃ」とか言いながら見事な扇さばき(て、いうのかな?)を披露したのだ。芸の家で生まれ育つとはこういうことかと瞠目した次第だ。以降、同様の感動を製造業や○○屋さんと呼び表される販売業で感じてきた。

で、長崎の市長選。娘婿である候補者が敗れた時、娘さんは「父の存在はこんなものじゃなかったはずです」と悔し泣きしていた。あれ? と思ったのは私だけじゃないはず。凶弾に倒れた一長氏のそれまでの功績や存在感は確かにズシリと重いだろう。しかし、それと慌てて東京から呼び戻した娘婿と何か関係があるのか? この「あれ?」を長崎市民は最初から感じていたのだろう。「あれ?」の結果が選挙結果となった。

世襲はけっこう大変だ。息子だから良いわけではないことは、こぶ平改め正蔵の例が顕著。仕込みと修行を経てこそ世襲は認知されることを長崎市民に学んだような気がした。

2007.5.2発行 エコノミスト●なごや Vol.29